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2011年5月

おめでとう。ありがとう。

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5月26日
ひなた5さいの誕生日。
朝から、ひなたが生まれた日のことを鮮明に思い出したよ。


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ケーキはママ友aiちゃんの絶品豆乳シフォン♪
こんなかわいいラッピングに感激。ありがとう。

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毎回悩むプレゼント。
今回は、ひなた希望の道具セット。
おもちゃはやめて、本物にしました。
子供のとき、ほんもの使うのってうれしかったなぁと思って。
ひなたとっても喜んでくれた。
これで、お家をつくるんだって〜〜
楽しみだなぁ〜

最近、
ひなたがよく歌う歌。
幸せなら手をたたこっ。幸せなら足ならそ〜幸せなら態度でしめそうよ。ほらみんなで手をたたこ♪

ひなたとドライブ中、ひなた幸せ?ってきいたら、
うんって言った。
なんで??
て聞いたら、
お空がこんなにきれいな青だもん。って。

感動したっけ。
子供に気づかされる事がほんとに多いです。
ひなたが生まれてきてくれて、ほんとに幸せ。
ありがとう。
お母さんにしてくれて、ありがとう。
ひなたに素敵な未来がまっていますように。
5歳おめでとう。

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草木染め

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よもぎをつんで、みんなでよもぎ染めをしました。
媒染剤によって、おなじよもぎでも違う色にそまるんだね〜〜
たのし〜!!


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その季節の草木で染め物がいつもできたらほんと楽しいし、
いい気分だろうな〜
またやろうと思います。
次回は一緒にやろ〜〜〜〜

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ランチランチ

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すいかと、とうもろこしをこよなく愛する我が子達。
それが出始めの今の時期は、2人にとってとっても幸せな季節です。
目をきらっきらさせて喜ぶ顔がほんとにかわいい〜〜〜〜

子育ての息抜きに行くLunchは最高ですね。


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ママ友aiちゃんと行った、台所屋さん。
aiちゃんは、御前崎市の子育てサークルの代表をやっています。
ほんと、しっかりしていて、自分の意見をしっかりもつ同級生です。
尊敬です。
台所屋さん、家庭料理だけど、かなり繊細な味です。ほんとおいしい。


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ずっと行きたかったkonohiさん。
かなりいやされちゃい、話が止まらなかった。 コーヒーもほんとおいしい。


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ダチョウカフェ つなぐさん。
開放的な空間がとってもお気に入り。

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フリマもおしゃれな店がいっぱいで楽しかった。

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Lunchもおいしい〜

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最近店を再開したkopipotもいきました。
あののんびりした空気がまた感じる事ができてうれしかった〜。
みきさんの誕生日に、みき寿司に招待して頂きました♪

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創業40年のみき寿司絶品でしたよ〜〜
おめでとう!!!

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東日本大震災、宮城編

福島のみんなに別れを告げ、

宮城県石巻市の専修大学キャンパス内にある、

震災ボランティア本部に行きました。

日本各地からボランティアグループが集まっていて、

本部の方達が役割分担、結果報告、行動会議

をしていました。

石巻は今回の震災で津波の被害が特にひどかったため、

たくさんの自衛隊や、ボランティアがいます。

でも町はまだまだがれきの山。

遺体も毎日発見されるそうで、

津波を受けた個所はもちろん、

キャンパス内にまで死臭が漂ってきます。

そして今回、しないを案内してくれた

石巻水産の副社長木村さんも

震災で大きな被害を受けた方の一人です。

缶詰を生産していた工場、直売所などもすべて

津波に破壊されてしまいました。

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しかし、従業員だけはリストラしないように

なんとかがんばっているそうです。

そして、今回同行した女優の高樹沙耶さんと

従業員の皆さんの写真をたくさんとってあげていました。

本当に人の上に立つ人の見本のような、

豪快さ、ユーモア、暖かさを兼ねそろえた人でした。

そして、震災にあった缶詰をお土産にもらいましたが、

本当においしい!!

なんでも缶詰業界に革命をもたらした製法だそうです。

あっためなくてもおいしいし、あっためればなおおいしい。

そして震災、津波も耐え抜いて、僕らがおいしく食べれます。

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石巻をいったん離れ、向かったのは女川。

ここも本当にひどい被害でした。

すごい高さの津波が来た事がわかります。

そしてものすごい力で、

コンクリートの建物が、形は崩れずに横に

転がっていました。


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石巻のボランティア本部の書記をやっていた

りくに支援物資と、元気の種を託してきました。

本当に頼もしい21歳のりく、これからが楽しみです。

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石巻を出発して、今回途中からいろんな噂があった

ちだ原人の消息を探るべく、一番可能性のありそうな

多賀城市に向かいました。

ある人はもう生きてないんじゃないか、

ある人は車をサーフボード代わりに乗りこなしていたとか、

被災した避難所で、みんなから神様と慕われているとか、

すごい興味がわいてきました。

ちだ原人は普段服も着ないで生活してる

ドレッドロックラスタです。

ミュージシャンでもある彼、

今回いろんな人がいろんな噂を耳にして教えてくれる限り、

彼はどこかの避難所にいるという事がわかりました。

そして多賀城が一番有力という事で向かいました。

日も暮れ始め、もし会えなければ、わたすはずの

支援物資を避難所に渡そうという事で、

ある一つの避難所に向かいました。

そしたらいましたちだ原人!!


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さすがに避難所では服を着ていました。

話を聞くと大変な目に遭ってるのに、

彼が話すと思わず笑えてしまう。

震災当時、彼はマックのコーヒーをかって、

席に着こうとしたときに地震でこぼしてしまったそうです。

そしておかわりをもらおうとレジに言った時もう一度揺れたらしいです。

走行してる間に津波がくるからにげろーと

みんなが逃げ出したので、マックのコーヒーのカップ以外

すべて置いて逃げたそうです。

逃げているときに津波に飲まれ

危機一髪で金網にしがみついてよじ上ったそうです。

そして、握りしめていたはずのカップもなくしたそうです。

結局コーヒー飲んでなかったのにって。

そして避難所に入って1週間くらいはみんな本当に

暗かったって、でも子供たちが一番立ち直るのが早かった。

そして、最初は食べる物もなく、あっても毎日同じだったり、

でも今は物資がたくさんあって、被災する前より

生活が豊かになったって

食べ物もある、服も選び放題、

毛布も布団もくれて、ギターまでくれたって。

本当にすごい人だと思いました。

そして避難所の中のみんなに、支援物資を

配るのを手伝ってくれました。
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そしてここが俺の家と案内してくれた、

こぎれいな一人分のスペースにラスタカラーが

いい感じになっていた。

残りのすべての物資を、原人に託して

多賀城を後にする。


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今回の震災地で思った事は、本当にごみが多かった。

僕らの快適な生活はその反面、一度何かあると、

どうしようもない事態になってしまう事がわかった。

復興 とは? また同じ生活に戻す事が復興なのか?

今回の反省点を克服しなければまた同じような事になりかねない。

僕らの生活とは本当に危うい綱渡りのような所で成り立っている事に

気づいた。震災に遭ってない僕らもこれからどうしていくべきなのか、

本当にいままでの贅沢が必要なのか、もっと違う道はないのか、

真剣に考える所に来ていると思う。

石巻は復興という気持ちが高かったが、

相馬市などはやはりもうちょっと違っていた。

津波に加え、東電の事故、そして本当の情報がない事が

手を付けられなくしているのかもしれない。

電気が足りないから新しい発電設備を作るんじゃなくて、

電気の消費を減らす方向の技術が進んでほしい。

また発電設備を作れば、結局今までと同じ事、

それが自然エネルギーだろうが何だろうが。

お金を回すためにどんどん消費を拡大していく。

欲はどこまでも深く、その終わりは

地球がもう耐えれなくなるのかもしれない。

天然素材を極力使った生活様式になっていってほしい

また今までと同じなら、ぜったいに災害時には

ごみの山ができる。

贅沢をしすぎた今までから、もっとシンプルな所へ

戻っていってほしい。

日本人はそれを絶対に持っている。

成し遂げれる。東北の自然は本当に豊です。

被災された皆さん、大変なご苦労だとお思います。

どうか一日でも早く、日常に戻れますように。

東北にいい風よ吹け

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東日本大震災、福島編

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すっかり蒸し暑くなったここ浜岡、

もう梅雨入りのようなじめじめと、

消防の訓練が始まった事で、

もうこんな季節になっていました。

15日から震災の支援物資を運ぶため、

実際にどんな状況なのか自分の目で見るために

東日本大震災の傷跡が残る、東北へ行ってきました。

まずは、日曜の夜に出発して海老名で一泊。

朝一の築地のにぎり寿司の朝飯から

東京、埼玉で支援物資をさらに積み込む。

走行してる間に時はたち、福島を目指すには

遅すぎる時間。

那須塩原にある無人の温泉につかって、車中泊。

今回の移動車は北海道で今年の夏活躍する

ヘンプカー。

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http://www.ooasa.jp/hemp_car/

今回は燃料がまだなくて、普通の軽油での走行。

基本5人+物資+個人的な荷物一式だったけど、

ゆったり快適な旅でした。

翌日、福島の相馬市にある中村神社を目指しひた走る。

昼ぐらいに到着して、

3人の地元ローカルに案内してもらう。

その中の一人、お坊さんの徳雲さんは

福島原発から14Km圏内にあるお寺のお坊さん。

20km圏内立ち入り禁止を受け避難している。

国からは何の説明もなく、これからまた住めるのかも

わからなかったという。

そこで彼らは自分たちで専門家を呼び、

地元民を集め、これからもう一度住める事は可能なのか、

何か手だてはあるのかを聞いたそうです。

その方ははっきりともう住む事はできません。

違う土地への移住という道を選ぶしかありませんと、

告げてくれたそうです。

そしてそれは薄々わかって履いた事だけれども、

告げられた時は本当につらく、

先の事は考えれる状況になかったと。

でもちゃんと言ってもらえた事で、

次に進める。と言っていました。

津波の被害も彼ら3人、本当につらい思いをしています。

そしてこの目に見えない放射能と言う恐怖。

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ガイガーカウンターを初めて見ました。

常にこれを持ち歩いてる事も、異常な事だろうけど、

内部被曝対策のマスクも含めて、人間は何の変化もないと、

今まで抱いていた、放射能への恐怖などが薄れてしまうと感じた。

相馬市の小学生たちが下校途中に、マスクをほとんどしていないのが、

何か不思議になりました。本当にこれでいいのか?

もっと対策をした方がいいのか?

見えない、聞こえない、臭いもない。

症状もすぐには出ない。

それが、本当に怖い所だと思った。

子供がいて、大丈夫だと言う情報を信じて

もし何年後かに甲状腺がんにでもなったら、

親としてどれだけ後悔するか、

謝っても謝りきれない。

どうか本当の情報を流してほしい。

相馬市であっても高い放射線を感知する所が無数にあるという。

20km 30km の線引きって、40kmくらいの

相馬市は安全と言えるのか。

どうか本当の情報を早く流してほしい。

そして静岡のみんなの元気を

元気の種としてアレルギーに対応したクッキーを

送りました。

そして、中山さんからヘンプ製の靴下手ぬぐい、

食料品と水。

大変な苦労だと思いますがどうか皆さんお元気で

この震災がみなさんにいい道を開きますように。

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そして、その夜はアカデミズムに背を向け、

カウンターカルチャーの世界で創作活動を展開する

画家・薬師丸郁夫さん宅に一泊お世話になりました。
http://yakushi369.jugem.jp/

奥さんのたかこさんと二人で奏でる音楽に

圧倒されながらの宴は生涯忘れません。

そして巨大な作品の原画に囲まれながら

就寝。

翌日、二人の運転と音楽で蔵王を案内してもらいました。


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祈るように歌う歌声が、蔵王の大自然に溶けていきました。

本当に理想的な二人です。

郁夫さんの多くの作品も今回の津波で紛失してしまったそうです。

本当に残念です。

そして蔵王をこよなく愛する

お二人も、今回の東電の事故を受け、

移住する予定だそうです。

宮城編へつづく。

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浜岡ローカルサーファーズ主催

浜岡ローカルサーファーズ主催

こころの寄り合い

6月1日水 午後6時から 御前崎市 佐倉公民館 さくらんぼ

浜岡の海で、いつまでも、波乗りをしたい。

この辺でとれた、うまい魚や野菜をくいたい。

浜岡御前崎

みんな楽しく

てきとーにいきていきたい。

明日の未来を創造していく。

どなたでも、参加OK.無料です。

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食と農の大講演会

今週末のイベントです。

とっても豪華なゲストです。

3.11以来、ほんとに思うこと。 自分たちが食べるものくらい自分たちでなんとかしなきゃ。。

自分たちの手元で育った野菜なら、安心して子供たちにも食べさせられるなぁ。と、、、

これからは、畑だなぁやっぱり!!!!

そんな思いがいっきに解決できそうな、お話です。

告知が間際になってしまいましたが、なごみでもチケット扱っています。

もし、興味のある方は、明日中に連絡ください。

0537-85-2418 (携帯に転送されます。)

~東日本大震災復興チャリテイーイベント~

「 食 と 農 の 大講演会」

2011年5月22日(日) 10:00~18:00

東日本大震災で私たちは多くのものを失いました。この震災が私たちに気付かせてくれたことは何でしょう?
これまでの価値観・生き方の転換期に来ているのではないでしょうか?
安全な食べ物を食べたい、作りたい、地球に感謝したい。初めての人も、動き出した人も一緒に繋がり拡がろう。
次世代の子ども達に今私たちが出来ること「動けば変わる!」そんな大人の背中を見せること。

主催:“未来をてらす「夢人」の会”    
           
お問合わせ:ボノロン外国語学校 080-6913-8666

後援:静岡県、静岡市、焼津市、藤枝市、島田市 ← すべて予定です。 

@焼津市大井川文化会館ミュージコ 定員 1050人 静岡県焼津市宗高888 054-622-8811

チケット 前売り(当日)  大人 2000(2500)円  高校生以下1000(1500)円

*保護者様へ 幼児以下のお子様は無料ですが他のお客様の為に膝に座らせて下さい。

**イベントの収益金はすべて石巻市で活動している被災者支援団体「め組JAPAN」に寄付させて頂きます。

10:00~11:00  てんつくマン講演 「いま私たちに出来ること。石巻市からのレポート」

11:00~12:00  田中優 さん 講演 「福島第一原発の今・放射能対策と自然エネルギー」

12:00~13:00  ブース出展

13:00~13:45  MOA自然農法文化事業団 静岡中部西部地域 会員連絡会議 事務局長  三浦伸章 さん 講演 「自然農法野菜・命とは」

14:00~15:45  安部司 先生 講演 「安心な食品の見分け方」 

16:00~17:00  大田篤 さん 講演  「私たちは何のために生れてきたのでしょうか」
                    
1958年生まれ。広島県出身。多くの環境団体・グループを結ぶ『地球と子どもの未来を守るネットワーク』を設立。「意識」で病いを癒す力と、先を見通す目で、世の中を変えるため、人の心を変えるためメッセージ
を送っている。環境・社会・科学・医学の問題から、精神世界・超古代史などに至る幅広いテーマで、全国的に講演活動を続けている。著書「何のためにあなたは生きているのですか」

17:00~18:00  ブース出展

*共催、協賛、チケット販売所、ブース出展、スタッフなどに参加できる 団体、個人の皆様を募集しています。

問い合わせは:  ボノロン外国語学校  増田 浩宇(ひろたか)  までお願いします。 080-6913-8666

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元気の種プロジェクト

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子供もお母さんも、男性たちも、女の子たちも、みんなたくさんの希望と願いと心をこめて作りました。
被災地のアレルギーの子供たちのために、卵。牛乳。乳製品は使用していません。
体も、心も元気になってもらいたいので、材料には、安心して使えるものをしようしています。

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みんなでやいたクッキーは200袋をこしました。
次回は6月に行う予定です。
ぜひ、一緒に元気の種をまきましょう。

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みんなでかいた寄せ書きも一緒に、丁寧に箱詰めしました。

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東北へむかう洋平くんに一箱託しました。
もう一箱は、明日、福島へむかうkazuさん、たかくんたちにたくします。
どうか、げんきのたねが東北みなさんの元気の糧となりますように。。。。

そして、みんなからもあたたかい贈り物がとどきました。

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ゆっこちゃんから、たくさんのあったかいメッセージ。


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ganga leeのシュウタ
自分のうちの新茶を。。


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えみちゃんからこどもたちへ、おかし。

そして、おみそやひまわりの種などなど、、たくさんの方の気持ちを東北へ届けます。
ありがとう。


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こないだのゆるゆる満月でこんな素敵なLiveペイントをしてくれました。
nagomiをイメージしてくれたそうです。
ありがたい。

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よりあい

5.11 三宅洋平くんのLive 最高でした!!!
ほんとにかっこよかった!!!
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さゆりちゃんの自然食と洋平君、らっこさん、冨田貴文くんのコラボが、ほんとに最高だった〜


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Cake

raccoさん、お誕生日おめでとうございます。


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最後はみんなでほんとに寄りあいスタイル。
公民館にでもいる感じになってました。
いろんな話ができてよかったです。
ムネオ君繋げてくれてほんとにありがとう。


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翌日も、冨田貴文君との寄り合い。
いろんな分野の話がきけて、ほんとにおもしろかったです。
またぜひ、みんなで寄りあいしましょう〜!!!

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寄り合い 第二夜 未来のためのお話。

富田貴史君とみんなで語り合う寄り合い第二夜。

昨日の三宅洋平君のライブとはまた違った、

みんなで語り合う寄り合い。

原発が止まった今だからこそ、

楽しい未来をみんなで想像しよう!!


7:00 start @ なごみ。料金は縄文式、カンパスタイルでお願いします。

お食事、飲み物用意してあります。


冨田貴史さんのプロフィール

1976年千葉出身、京都在住。ドキュメンタリー映画『六ヶ所村ラプソディー』を携えて少人数で語り合う上映会を全国120か所で企画。旧暦・13の月の暦、お金、エネルギーなどのワークショップのファシリテーター。映画「ミツバチの羽音と地球の回転」の制作に関わる。著書『わたしにつながるいのちのために』(2006年)『美しい海とわたしたちの未来』(2010年)

web「radio-active」:http://radio-active.greenwebs.net

ブログ「冨田貴史旅日記」:http://takafumitomita1320.cocolog-nifty.com/   

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明日は三宅洋平アコーステリックライブ。

おかげさまで、明日のご予約閉め切らせて頂きます。

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東北復興支援道中の、三宅洋平君のライブをなごみでやります。

三宅洋平Live @ なごみ

 guitar& vocal 三宅洋平(仮)Albatrus

percussion 三嶋 RACCO 光博

6:00 OPEN 7:00 START

7:00 自然食、1プレートディナーで晩餐会→ Live 8:00 予定

会費2000円 晩餐会からの方はご予約をお願いします。
     閉め切らせて頂きました!!        

  Liveのみのご参加、1500円

ご予約、お問い合わせ
 砂丘魚政なごみ 0537−85−2418 
          転送後携帯につながります

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読んでください!

stud muffinのnaoさんのblogからこんな日記に出会いました。
ぜひ、みなさんに読んでもらいたいです。
同じ事をくりかえしたくないし、こんな事実を無駄にはできないし、
同じ親として、人間として、後悔はしたくないなって思いました。
日々の幸せをほんとに大事にしたいなぁって思います。
浜岡は今、報道陣がすごいですね。。
世界の注目の的ですね。。
そんな浜岡にうまれた私たちってすごく特別な意味をもってうまれてきたんじゃないのかぁと最近思います。
今まで、原発の恩恵をたくさんうけて、こんなに小さな町でも何不自由なく暮らせていた事には
感謝しています。
でも、やっぱり子供をもつ親として、心の底ではほっとしています。
この先、雇用問題や、経済の問題、新しいエネルギーなど、いろんな問題がでてくるとは思いますが、
今までの感謝の気持ちも忘れずに、若い人たちががんばって、真剣に未来をみて動いていく時なんじゃないのかぁと思います。
人任せはもう無責任だなぁと思います。
長いですが、読んでみてください。

3月11日 『絶望と恐怖』


この日は地震があった日でもあり、上の子の幼稚園の卒園式の日でもあった・・・
朝は何時間後に地震が来るという事も全く予想しない中で、俺や家族はいつもより明るい空気の中で朝を迎えた。

俺の仕事は毎年2月後半~4月頭までは大変忙しく、休むと取り返しがつかなくなるほどだった。それを以前から嫁に話をしてて、毎年俺の姿を見てる分、嫁は
『卒園式は仕方ないけど、4月の入学式に参加できるように頑張ってね』
と優しく言ってくれて、俺も約束を守れるよう毎日残業し、休日返上で頑張ってた。


『仕事行ってくるな。今日はパパ行けないけど、入学式は絶対行けるようにパパも仕事頑張って来るから!だからひかり(上の子供)も卒園式頑張れな!ちゃんと頑張ったら、好きなおもちゃ買ってあげるよ。』

嫁にも
『ホントごめんな。今日行けないっていうのと卒園式のお祝いもかねて、今度の日曜あたりにでも家族みんなでなんか旨いもん食いに行こう!迷惑かけて申し訳ないけど、ひかりと響(下の子供)をよろしく頼むな。仕事落ち着いたら、子供たちとどっか泊まりに行こう!』

その言葉を言った時、嫁や子供たちはすごく嬉しかったのか、とびっきりの笑顔を見せてくれた。
でもそれが家族4人で過ごした最後の時間だった・・・・・・


地震が発生した時仕事をしていたが、あまりの揺れですぐ外に避難をし、立っているのがやっとの状態で揺れが落ち着くのを待った。

揺れが落ち着いてからすぐ嫁や親に電話したが繋がらない・・・

メールも送れない・・・

不安な気持ちの中、携帯のワンセグを見た。
『津波警報発令、津波警報発令、5~6メートルの津波が来ます。海岸沿いの方はすぐ高台に避難してください。今回の地震の震度は・・・』
それを見た瞬間頭が真っ白になった・・・
そしてすぐ会社を後にし急いで閖上の自宅に向かった。
しかし停電で信号が止まっており道路は大渋滞。
閖上に向かう車の中でナビを付けて見ると、さっき携帯のワンセグで見た時よりも切羽詰まった感じでアナウンサーが避難するよう訴えてた。

その時、1通のメールが届いた・・・

嫁からだった・・・

内容は
『家めちゃめちゃだよ。とりあえず今から避難します!避難先決まったらメールするね!たっつ(俺)のパソコン持ってきたよ!』

・・・こんな時に俺が使ってたパソコンなんかどうだっていいから早く避難してくれと思い、返信しようとして何回も災害伝言板にアクセスしたがまた繋がらない・・・
嫁や子供たちの事が心配で仕方なかったが、とりあえず少しでも早く閖上に向かう事に集中した・・・


これが嫁からの最後のメールだと気付かずに・・・


道路は大渋滞だったが、会社から自宅まではそう遠くもなく、裏道裏道でなんとか閖上に1時間もかからずにたどり着く事ができた。

閖上のファミリーマートを通り過ぎ、『もうすぐ家だ』って少し安心した矢先、目の前から煙を上げながらドス黒い何かが近づいてきた・・・

俺自身それを見た時、最初は津波だとは思わなかった。
しかし周りを見渡すと周りの田んぼや家がドス黒い水に飲み込まれて行くのを目の当たりにし、そこで津波と気付き急いで車をUターンさせた。

閖上町内も渋滞してて後ろから迫ってくる津波に焦り頭がパニックになりながらも、奇跡的に車同士の隙間をうまく抜ける事ができ、なんとか東部道路(高速道路)近くのミニストップまで来れた。
しかし、そこから渋滞のせいで車が全く動かず、どうしようか悩んでた矢先に、上の東部道路から声が聞こえた・・・

『車捨てて早く上がれー!そこまで津波が来てるぞー!早く、早く上がれー!』

何人かのおじさん達が、こっちに来いと体全身を使ってジェスチャーしながら大声で叫んでた。

それを聞いた瞬間、すぐ荷物を持って車を降り、周りの車に乗ってた人達と一緒に走って東部道路に登った。

東部道路に上がり後ろを振り返った瞬間、俺の目に絶望的な光景が飛び込んできた・・・

たくさんの家や車がドス黒い濁流に流されガレキと化し、人をも飲み込んでいった・・・

車のガソリンや重油やらに引火したせいか、普段火を消すはずの水が、逆に火をまとって町全体を飲み込み、町のあちこちで火災が発生してた。まさに火の海そのものだった・・・


夢だと思った・・・


この世の終わりだと思った・・・

気温が下がり雪が降る中、寒さで体を震わせながら、家族の安否と目の前の光景にただただ不安と絶望と恐怖を感じていた・・・


東部道路に目をやり、ふと気付いた事があった。

東部道路には車が1台もなかった。
地震だから仕方がなかったかもしれないが、もしあの時避難してた車を東部道路に少しでも上げていたら、目の前の津波に飲み込まれた人達や車は助かったんじゃないかって思った。
閖上インターの入口は目と鼻の先にある。

津波が来るまで少し時間があったのに、なんで目の前で必死に逃げてる人達を誘導せず、逆に追い返して助けられた命を見殺しにしたんだろう・・・

少なくとも今自分が立っている道路の上に、人の命より大切なものがあるとはとても思えなかった・・・


そういろんな事を考えていた時、俺の携帯にまたメールが届いた。
今度は千葉に住んでる妹からだった。

『大丈夫!?お母さん達は小学校に避難したみたいだよ。いーちゃん(嫁)津波気をつけて。』

その時は母親と嫁が別々に行動してるだけだとしか思わなく、みんな無事だと信じて俺もやっと繋がった災害伝言板に無事だということを書き込んだ。
そして、閖上インターの入り口脇にある会社内にみんなで避難し、寒さをしのぎながら夜を迎えた。

まだ目の前で起こった事が信じられない。

それ以上に嫁や子供たちが心配でたまらなかったが、周りの人達も同じだと自分に言い聞かせて我慢してた・・・
嫁や親にはあれから何十回も連絡したがまだ連絡がついていない・・・
夜になり同じ場所に避難した老若男女様々な人達が不安と恐怖におびえてる中、さらなる不安が襲う。


東部道路を走ってたパトカーに乗ってた警察官が、東部道路に避難してた人達を集め話を始めた。

『まだ大きな余震の影響で津波警報が解除されていませんので、この高速道路で警察車両を走らせみなさんを愛子(あやし)方面に避難させます。』
という内容だった・・・

閖上から愛子までは普通に1時間以上かかる。
ましてやこのような中で愛子に避難したら、次いつ閖上に戻れるかさえも分からない・・・
反対する人はたくさんいた。
目の前に見える小学校や中学校に家族がいるかもしれないからである。
俺も親が小学校にいるって分かってたから反対した。
当然といえば当然ではある。
しかし警察官に
『津波警報が解除されていないことや相次ぐ余震で、また津波が来る可能性があるのでみなさんの安全を確保するのが最優先です。』
と言われ、強制的にみんなで愛子に連れて行かれた。


家族は大丈夫か・・・


これからどうしたらいいのか・・・


次にいつ閖上に戻って来れるのか・・・


そういった今まで感じた事のない不安と恐怖を抱えながら・・・

3月12日 『子供たちとの再会、そして・・・』


前日の夜中に愛子小学校に連れて来られ、まだ目の前で起こった事が信じられないのと、体を突き刺す寒さでほとんど寝る事ができないまま朝を迎えた。

震災が起きてからまだ家族に連絡がつかない・・・
しかし明け方に運良く会社の社長と連絡がとれ、そこから避難場所である愛子まで迎えに来てもらえ、着替えを借り名取市役所に向かう事できた。

市役所はみんな情報を求めてすごく混雑してたが、いとこの叔父・同級生・知り合いとかに会い、お互いの状況を話しながら少し元気を分けあった。

依然として家族の安否が分からない中で行く場所もなく、情報も市役所に集まるということだったので、叔父と行動を共にしながらずっと市役所にいた。
市役所内のテレビには津波の被害が映っていて、若林区で200~300の遺体がすでにあり、閖上小・中含め至るところで避難した人が孤立しているということだった。
それを見て不安で不安で仕方なかったが、それと同時に何もできない自分にも腹が立った。

午後になり、自衛隊の方達の懸命な作業により閖上小学校・中学校に避難した人達を市内にある別の小学校・中学校にバスで移動させるという情報が入ってきた。
そして夕方にバスでの移動が始まったが、誰がどこの小・中に行ったのか分からない・・・

移動した人達の名簿がまだ市役所に集まってないのだ。

「早くしてくれ!」
と、どうしようもないイラ立ちの中、時間だけが過ぎていった・・・

その時、親戚の人に声をかけられた。
『お母さん“達”と子供たちは中学校にいて無事だったよ。』

ガソリンが無い中わざわざ見てきてくれたみたいだ。その言葉を聞いてみんなが無事だと思い、安心して体の力が抜けた。それと同時にまた親戚の口が開き、地震や津波以上の絶望感が俺を襲った・・・

『お母さんと“婆ちゃん、叔母さん”、子供たちは無事だったけど、いーちゃん(嫁)は津波に流されたみたい・・・』

耳を疑った・・・

そっちの“達”だったのかよって思った・・・

そしてすぐ、去年家族で近くのプールに行った時の嫁の言葉が頭をよぎった。

『あたし、泳ぐの苦手なんだよね・・・』

その瞬間発狂しそうになった。
パニックというより、頭が割れそうになるくらい痛くなった。
けど、それに気付いた叔父に子供たちを迎えに行こうと言われ、必死に気持ちを抑えつけ子供たちの避難場所に向かった。

避難場所に着き、まず母と響(下の子)・いとこの叔母、婆ちゃんを見つけ再会の喜びで涙を流した。

響は今年3歳になるまだ小さな子供で、俺よりもずっと怖かったはずなのに、それにも関わらず俺が涙を流してる時に俺の頭をなでて笑ってくれた。

それで余計涙があふれ、
『無事で良かった・・・あの時、側にいてやれなくてごめんな。』
と言いながら響をギュッっと抱き締めた。

少し落ち着いてから一緒にいた母に

『ひかり(上の子)は?』

と聞いたら、どうやら移動するバスが別々だったらしくどこにいるのか分からないらしい。
ただ分かった事は、ひかりは母の友人と一緒にいるとのことだった。

どこにいるのかという不安な気持ちの中、叔父や母とこれからどうやってひかりを探そうか話合っていた時、同級生のTがひかりと母の友人を俺のとこに連れて来てくれた。
そこで再び涙を流した。

T本当にありがとう。
あの時、俺はTと友達で本当に良かったって思ったよ。
ひかりを連れて来てくれて本当にありがとな。

少し落ち着いて母から地震当日の話を聞いた。

当日は嫁や子供たちと一緒に避難してたらしく、嫁は上の子を母の友人に、下の子を母に先に預けたらしい。
そして母と下の子はいとこの家、上の子と母の友人は小学校に避難したらしいが、嫁もいとこの家にあとちょっとでたどり着くというところで母の目の前で津波に流されてしまったらしい・・・

母は泣きながらひたすら俺に謝った・・・

けど、
『まだ死んだって決まった訳じゃないし、きっと生きてるって』
と言って母に負担を与えないようにした。
ホントは俺自身不安で不安で仕方なかったが、それがその時言えた自分なりの精一杯の言葉だった。


夜になり、いとこの知り合いが働いてる市内の会社でお世話になることとなり、その夜は嫁の事を心配しつつ、子供たちと一緒に少しだけ寝た。


13日からは絶対嫁が生きてると前向きに気持ちを切り替え、子供たちにこれ以上不安を与えないよう普段以上に明るく振る舞おうと心に決め、嫁探しを始めた。

3月13~18日は午前中は子供たちと遊んで少しずつ笑顔を取り戻し、午後からは保育所で行方不明者の手続きを済ませたり、閖上へ行って変わり果てた景色を見ながら自分の家があった場所を見たり、いとこの家の片付け、市役所に行って情報収集したり、遺体安置所に行ったりした。

テレビの取材も3社受けた。絶対生きてると信じた嫁に、俺や子供たちが元気であることが届くようにと願いを込めながら・・・

そして、友達・知り合い・YBCのみんな・市役所で会った人達・・・俺が知ってる人達みんなに嫁を探してもらえるようお願いをして、さらにそこから俺とは全く繋がりのないみんなの友達、知り合いにも連絡をしてもらえた。

テレビを見た地元の人達からも協力すると声をかけられ、地元の顔見知り程度の人達からも協力すると言われた。
その言葉がすごく嬉しく、さらに前向きな気持ちになれた。

この時程、友達や仲間、地元の繋がりのありがたさを実感したことはないし、こんなにも素晴らしい人達に会わせてくれた閖上に生まれて本当に良かったって心の底から思った。


よっぺのブログを通して申し訳ないけど、あの時協力してくれたみなさん。本当にありがとうございました。
みなさんにご協力してもらえたおかげで、前向きになれ、毎日頑張る事ができました。
本当にありがとうございました。

そして震災から8日目の3月19日。
探していた嫁と再会することができた・・・


3月19日
『人生で1番泣いた日・人生で1番後悔した日』


『今日こそ絶対ママ見つけてね!』
13日以降、嫁を探しに行く前に毎日ひかり(上の子)から言われる言葉だった。

そして市役所で情報を集めたり、病院に電話したり、同姓同名がいる少し遠い避難所に探しに行ったりしてた。
毎日新しい情報こそ耳にはするが、同姓同名という事以外で顔や特徴が一致する嫁の情報はなかった。

夕方、一通りの事を終えて1日の最後に必ず行ってた遺体安置所に行った。
遺体安置所の中が見れるようになってから毎日通ったが、顔を知ってる人だけでも軽く100人は越えていた。

そしていつも通り遺体を確認していた時、探していた嫁を見つけた。

最初は嫁じゃないって思った。

顔は少し傷付いていたけど、遺体というより本当に疲れて眠ってるような感じだった。

目の前の光景が信じられず頭が真っ白になりながらも、身につけていた物を確認して嫁が使ってた見覚えのある携帯・結婚指輪を手に取って本人であると確信した。

『おかえり』って言えなかった・・・

子供たちの約束はもちろん、何より俺自身、嫁に会ったら二度と離ればなれにならないように抱き締めて迎え入れようと思ってたからだ。


もう声が聞けない・・・


もうあの笑顔を見る事ができない・・・


これから子供たちの入学式や卒業式、成人式や結婚式を一緒に祝い、老後も一緒にいられるって思ってた。

そんないろんな想いが全身を駆けめぐり、周りに人がいる中で俺は声を上げて泣いた・・・

いくら仕事が忙しいからといって、無理にでも俺が仕事を休んで一緒に卒園式に出て、あの時ずっと側にいてやれたらきっと嫁は助かった。
津波で死んだんじゃない・・・俺が家族より仕事を優先してしまったせいで、助けられた嫁の命を見殺しにしたのも同然だと思った。


1番辛い時に側にいてやれなくてごめんね・・・

1番怖かった時に守ってあげらなくてごめんね・・・

もっといろんな話をしたかった・・・

もっと家族でいろんな所に行きたかった・・・

もっともっと幸せにしてあげたかった・・・

もっと一緒にいたかった・・・

本当に悔しくて悔しくて何度も後悔して、ずっと泣きながら自分を責め続けた。


少し落ち着いてから叔父と一緒に手続きを済ませ、避難している所に帰り、子供たちにママがいなくなった事を伝えた。

『ママはお星様になったんだよ・・・』

その話をした時、子供たちは分からなかったのか普段通りにしてた。
けど、少し時間が経って母とひかりの姿が見えなくなった。そして母に呼ばれ行ってみたら、布団に隠れて声を殺しながら泣いているひかりを見つけた。

今年小学校1年になるひかりが、みんなに迷惑かけまいとずっと我慢していて1人で泣いていたのだ。

大人に不安を与えまいとして影で泣いてるひかりを見た瞬間、ひかりを抱き締めて一緒に声を上げて泣いた。嫁に対しても子供たちに対しても、何度もごめんなって謝りながら。


あれから何日も過ぎ俺も子供たちも少しずつではあるが落ち着いてきた。

今は火葬も葬儀も済んだけど、まだ嫁がいなくなったって実感がわかない。
けど、嫁が天国でも笑ってくれるようにする為にも、嫁の分まで子供たちをちゃんと育てられるように必死に頑張ろうと思う。
それが愛する嫁に対してできる唯一の恩返しだから。

いーちゃん
子供たちの笑顔を絶やさぬように、俺頑張るからね。


最後に勝手ながら嫁に送った手紙を書きます。


『いーちゃんへ』

こんなに早くいーちゃんがいなくなるなんて思いもしなかった。
これから先も子供たちと一緒にずっと毎日笑って生活できるって思ってた。
いーちゃんは俺が機嫌悪い時でもいつも明るくて常に優しく接してくれたね。
その優しさと明るさで俺がどれだけ救われたか、支えられてたかっていうのが今になってすごく分かったよ。
俺はそれを当たり前のようにしか感じず、いーちゃんに何もしてあげることができなかった。
今さら後悔しても遅いけど、こうなるんだったらもっと幸せにしてあげたかった。
もっといっぱい愛してあげたかった。
正直まだいーちゃんがいなくなったって実感がないや。
またどこからかひょっこり出て来て、いつもの笑顔でまた一緒に生活できるんじゃないかなって今も思うからね。
それくらい、毎日が優しさと幸せに満ち溢れていたよ。


地震が来た時、津波が来た時、1番怖くて辛い時に側にいてやれなくて本当にごめんね。

あの時俺も一緒だったらいーちゃんは命を落とすことはなかった。

結婚した時、『何がなんでも絶対守る』って約束したのに俺はそれを守れなかった。
本当に本当にごめんね。


いーちゃん、君に出会ってから今まで毎日が本当に幸せでした。
結婚して6年という短い時間の中でも、いーちゃんと共に人生を歩めて本当に良かったと思うし、本当にいーちゃんと家族になれて良かったよ。

俺と結婚してくれて本当にありがと。

そして子供たちを産んでくれて本当にありがと。
いーちゃんが頑張って子供たちを産んで、俺が会社行ってる時にちゃんと子育てしてくれたおかげで、ひかりや響も優しさを持ち、明るく元気に育ったんだよ。
地震が起こって津波が来た時、自分の命を顧みず先にひかりや響を避難させてくれたおかげで、子供たちは無事だったんだよ。
子供たちを守ってくれて本当にありがと。
これからは俺がいーちゃんの分まで、子供たちを愛し守り続けるからね。

いーちゃんはひかりの入学式を本当に楽しみにしてたね。
俺が夜遅くに帰っても、楽しそうに入学の準備をしていた姿は今でも目に焼き付いてるよ。

その姿を見て、俺は本当にこの人と結婚して良かったって思ったし、それを見てこれから先もっと幸せにしてあげたいって思った。


これから先ひかりや響の事が心配で心配で仕方がないと思うけど、何一つ心配しなくていいからね。
子供たちが優しくて立派な大人になれるように俺がちゃんと育てるからさ。
だから、安心して天国から見守ってて下さい。

子供たちにとってはもちろん、いーちゃんにとってもカッコいいパパ・夫であり続けられるように頑張るからさ。

・・・そして自分の使命を果たし人生を終えた時、今度はまたいーちゃんに会いに行くよ。
それまでの少しの間、一緒に笑ったり一緒に生活できなくて寂しい思いさせちゃうけど、俺がそっちに行ったら寂しい思いをさせた分、その何倍も絶対幸せにするから少しだけ待っててね。

最後に・・・
いーちゃん、さよならは言わないよ。
また会えるって信じてるし、何よりこのままさよならって言って別れるっていうのは嫌なんだ。それに俺自身これから先もずっと一緒にいたいって思うから。
だから俺がそっちに行った時、またいっぱい笑っていっぱい楽しんで、また結婚しような。

いーちゃん、今もこれから先も俺はいーちゃんを愛し続ける。

一緒になるのはまだもう少し先になっちゃうけど、俺が迎えに行くまで、いーちゃんも体壊さないようにゆっくり休んでね。

またね。

達也


よっぺのブログを読んで下さってるみなさんへ

家族を含め今愛する人がいるなら、変なプライドや恥ずかしさに捕らわれず、その人達にできる限りの愛を持って接してあげて下さい。
そして同じように友達や知り合いの方達を大切にして下さい。
みなさんには俺みたいに後悔してほしくありません。今回の震災に限った事ではありませんが、普段当たり前の事を当たり前のように考え、ある日その人が突然いなくなってしまった時、俺みたいに後悔しか残らないと思います。
どんなに仕事や他の事で忙しくても、家族や友達を最優先に考え、そういった自分が愛する人達と少しでも楽しく幸せな時間を過ごしていただけたらなって思います。

俺も子供たちはもちろん、友達や仲間も今まで以上に大切にしていき、この震災を乗り越えていきたいと思います。
震災の爪跡がまだたくさん残ってますが、そういった思いが強ければきっとまた明るい未来が待ってると思いますから、これから先みんなで力を合わせて頑張っていきましょう!


『花になるのではなく、花を咲かせる土となれ』

俺の大好きな言葉です。


読んでくれて本当にありがとうございました!


ひかり&響の写真も載せておきます。


Kodomo


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げんきの種プロジェクト&三宅洋平LIVE

 

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毎度おなじみの高山のさゆりちゃんから、すてきなプロジェクトのお誘いです。
まわりでは、被災地へ足を伸ばし、支援をしたり、現状を自分の目で確かめている人たちが
たくさんいます。
自分もできる事なら、現地へ行って、何かできる事をしたいという気持ちでいっぱいです。
でも、子供たちをつれていくのが、さすがに今の現状では心配だったりで、もやもやした気持ちもいっぱいでした。
そんなとき、こんなすてきなプロジェクトのお誘いをしてもらって、
なんだか救われた感じがしました。
現地に行かなくても、自分の手や、気持ちを入れたおかしを東北へ届ける事ができるんだ〜って。
みんなも、同じ思いをしてる人はいっぱいいるとおもいます。
ぜひぜひ、ほんのすこしの空いてる時間でも、多くの人といっしょにおかしをつくれたらなぁって
思います。
以下、さゆりちゃんから。。


げんきのたねプロジェクト

あわわのさゆりです。こんにちは。はじめましての方々は、どうぞよろしくお願いします。
あわわでは、牛乳や乳製品や卵を使わないお菓子をつくっています。縁あって御前崎にも何度も料理教室をしたり、ケータリングなどさせていただいています。
この度の震災で避難所には沢山の支援物資が運ばれていますが、アレルギー対応はまだまだ大変なようです。
うちの息子も沢山のアレルギーがあり、自分が被災した場合の事を考えるといかに大変だろうか想像がつきます。そして、アレルギーがある無いにせよ、お菓子は子供たちにとっていかに喜びになるかは考えるにおよびません。
私自身小さな子を持ち、被災者支援のために炊き出しに行きたいと考えてても、それが出来なくて心苦しい思いでいっぱいです。ですが、みんなで心を込めて楽しく作ったクッキーを支援に行く方々に託すことは可能です!
と言うわけで、あわわのげんきのたねプロジェクトとして、みんなでクッキーを作って届けませんか?
ちょうどもうすぐ、佐倉の理容室KAZUのかずさんが支援に福島県南相馬市同慶寺へ16日向かいます。また、なごみで行われるイベント11日に来られるゲストの三宅洋平さんも支援へと向かわれます。
この機会に、原発の街の御前崎で作ったげんきのたねクッキーをみんなで作りましょう!
なぜ、げんきのたねクッキーといいますのは、みんなの元気を注入するのと、麻の実をふんだんに使って作るクッキーだからです。麻の実の栄養は計り知れないほど多く含まれています。
あわわのお菓子のなかでも、ダントツ人気!
そして、アレルギーの多い卵や牛乳を使わないで作るので、アレルギーっこでも食べられます。小麦アレルギーのある子供用にも米粉でできるようレシピを作っていきますね。
大量にみんなで作って被災地へ送りましょう!

日時 5月10日
場所 佐倉公民館 調理室
時間 10:00-17:00
参加できる時間だけでかまいません。通しで場所を借りていますので、気軽に参加してくださいね。1日参加の方はお昼のお弁当を持参下さい。
参加費 1000円
すべてを材料費にあてたいと思いますので、参加費というより義援金に近いのかな!?
余った材料は今後継続して行きたいとおもっています。
参加された方々にはあわわのヘンプビスケットのレシピが頭にインプットされちゃいます!
微力ながら、ママでもできる確実な支援となればいいと思いますのでどうかよろしくお願いします。
長くなりましたが、読んでいただきありがとうございます。
あわわ さゆり

 今回の料理教室は この形ですみません さゆりさんと話し 被災地に何か出来る一つとしてご協力くださいませ、帰って来て報告します。
問い合わせ
河原崎実加子
mikako.meiku@docomo.ne.jp
Tel fax0537-85-3232
09024888766

そして、5月11日 チャリティーLive 三宅洋平@なごみ


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東北復興支援道中の、三宅洋平君のライブをなごみでやります。

三宅洋平Live @ なごみ

 guitar& vocal 三宅洋平(仮)Albatrus

percussion 三嶋 RACCO 光博

6:00 OPEN 7:00 START

7:00 自然食、1プレートディナーで晩餐会→ Live 8:00 予定

会費2000円 晩餐会からの方はご予約をお願いします。
             ご予約はお早めにお願いします。

  Liveのみのご参加、1500円

支援物資等募集するかもしれません
 必要な支援物資がその時々、場所によって変わるため、
 直前にブログでお知らせする事になると思います。

ご予約、お問い合わせ
 砂丘魚政なごみ 0537−85−2418 
          転送後携帯につながります。


両方とも、開催日が近いため、もし、BLog, Mixi, twitter などやっている方は、
貼付けて、のせて頂けたらうれしいです。
よろしくお願いします。

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ゴールデンウィーク

Photo

ばたばたとゴールデンウィークも過ぎていきました。
なごみにあそびにきてくれたみなさま、どうもありがとう。
一緒に、たのしい時間がすごせました。

Bbq


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ADGの2周年パーティー
最高でした!
みんなみてて気持ちいい位よっぱらいでしたね〜〜
たのしかった〜〜
ゆーすけくんおめでと〜〜〜〜
これからもよろしくです。
手伝ってくれたえみちゃん、みほちゃん、たっちゃんほんとに感謝です。

Adg

Dsc02317


Mihoemi


Paety

じいじが還暦を迎えました。
いつまでも、元気でいてもらいたいです。
家族みんなでお祝いできる事がほんとしあわせだなぁって思いました。
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Bd

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空いてる時間は、子供たちと遊ぶ!!
こどもたちも、なごみを手伝ってくれたり、おりこうに待っていてくれたり、
ほんとにありがたいです。

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new ボード
ありがとうございます。
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浜松の自然食品店。
あさのはやへ。。

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親子遠足へ行きました。
ひなた水にはいってびっしょびしょになった。。。
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なつかしの公園にピクニックにいったら、
niceな遊具があった。
こんなのなごみにほし〜〜〜〜
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Photo_8

長いようで、あっという間のゴールデンウィーク。
忙しかったけど、たのしかった〜
なごみの夏を思い出しました。
いろんな変化もあったゴールデンウィーク。
ほんと、ありがとうございました。


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